熊谷和・琉裁きもの専門学院:泊地域紹介

泊は1丁目・2丁目・3丁目と区分され、安里、牧志、前島、天久に隣接。

 教室は、昭和50年、沖縄海洋博覧会・開催真っただ中、
 隣の安里区から現在の泊2丁目、泊小学校通りと又吉通りに挟まれる

 中道通りに面している。

 

以下、資料を参考に記します。

「泊は、トゥマイと発音する。安里川の下流から河口部にかけての両岸一帯を村域とし、河口には泊港がある。
集落は村域東部から西部に連なる銀森なんじやむい・黄金森くがにむい・高真佐理たかまさり・洋順毛えんじゆんもーの丘陵から安里川河口にかけての地域に形成されていた。

かつては天久村の一地域だったが、港が整備されるに伴い港町として天久村から分離したと思われる。
康熙三九年(一七〇〇)建立の泊高橋碑に「中山に事がある時には西北諸島の舟は皆この地を泊とする。故にこの地を泊村という」(中略)

英祖王五年(一二六四)に久米島・慶良間島、伊比屋島(現伊平屋諸島)、同七年に大島(現鹿児島県奄美大島)の諸島が琉球に入貢。以後毎年入貢するに及び、泊港に諸島を管轄する公館(泊御殿)と貢物を収貯する公倉(大島倉)が建てられた。(つづく)

 写真1・2・3:とまり会館建物・2025年10月30日撮影・熊谷